スイスのチューリヒ近郊、Gossauで開かれた
シクロクロス選手権、マスタークラスに参加してきました。
エリートの世界選手権とは違い、マスタークラスの選手権は、Cycling for Allのイベントとして開催されているようです。だから、参加資格というのは特になく、脚に自信がある人であれば、誰でも参加できるのが特徴です。
去年までは2年間ケンタッキーのLouisvilleでした。原則2年間同じところで開催されているようです。ところが、その後、2014年-2015年の場所がなかなか発表されず、エリートと同じオランダのコースかな、と思っていたら、夏過ぎに、スイスで行うことが決まりました。かなりのんびりしたものですね。
そして日付が1月4-5日。 この日程は、小学生の子どもがいる我が家にはぴったり。しかもスイスのドイツ語圏ということで、我が家的にはとても行きやすい場所かな。どうせいくなら家族みんなでと提案すると、妻と相談して、「行くしかないでしょう、ただしお金は、何とかしてよね」だって。何とかヘソクリをかき集めて、4人分の旅費だったら何とかなるか、と判断し行ってみようという話になりました。
せっかく子供を連れていくのだから、子供たちが初めて母の実家を訪ねるのもいいかな。
しかし、年始年末のチケットが高い。しかも混雑しておりなかなかとれない時期です。結局12月30日発チューリッヒ往復の切符を入手。11月ぐらいかUCIラインセンスやら、宿の手配とかしていました。レースは2014年なのでライセンスも2014年のものを入手するしかなく、しかし日本の競技連盟は12月中旬にならないと、ライセンスの発行をしてくれなくって、そうこういっているうちに、登録が始まって、私が参加登録できたのは12月中旬でした。
日本からは、お互いレースでもご一緒して、切磋琢磨している仲間が4人参加。
中谷さんが50-54歳に、小田島さん、羽鳥さんと私が45-49歳クラスです。Lineで連絡を取りながら準備をしていきました。
さて、今シーズンは、それ程目立った活躍もしていないし、全日本も5位と、去年と同じでパッとしませんでした。それでも行くと決めて、自転車は2台持っていくべきか、とか、ローラー台はどうしようか、と様々なオプションを考えました。ただ2台持っていくのであれば、レンタカーが相当大きなものになること、資金面の限界を考えると結局自転車は1台になりました。これはあとで後悔の元になりました。
チューリヒについてから、まずミュンヘンまで行って、ドイツの親戚と一緒に正月を過ごしてから3日夜にチューリヒに戻りました。
今年は異常にあたたかいらしく、ミュンヘンにも雪はありません。レースで雪景色はまっぴらですが、観光は雪があった方がいいかな。
オーストリア国境でも、道路の脇に雪が少しあるぐらいで、気温は氷点下ではありません。また普通だったら雪で覆われているはずの丘にも緑が残っていました。
前日4日の試走はたっぷり2時間とってありました。コースは道路を閉鎖して作った舗装路をスタートした後に折り返してすぐ泥道、その後北神戸の泥化した長いキャンバーセクションがあり、その後野辺山の泥区間と、砂利道が交互に来るというコースです。テクニカルなところは、下りの泥区間ぐらいで、あとはパワーです。1周しただけで、代車、そしてピットクルーが必要なコースだと後悔しました。願わくは夜に雨が降って、泥がすこしでもシャバシャバになってくれると、走りやすいのに・・・参加者が皆口をそろえて祈っていました。試走中に洗車をすると、自転車がうそのように軽くなるのがわかりました。
試走中にも手で泥をのぞいています。
実際当日女子のレースがあったのですが、チームクルーや代車が豊富なヨーロッパのチームが、代車のないチームよりも強かった。代車があるかどうかで、順位が変わるレースになっていました。土曜日に女性のクラスがあったのですが、バイク交換できるかどうかが、勝負のポイントの一つでした。
またKraenzleという洗浄機メーカーがスポンサーになっていて、エンジン式の洗車機が5-6台ぐらい準備されていました。2-3人待ちで洗車できるので、洗車は大変快適でしたね。
テクニカルセクションは苦手なキャンバーの下りも4-5回繰り返すうちに慣れてきて、何とかなるさ!という気分に。
夜は雨が降り続いて、レース当日に会場に行ったときは、泥がサラサラになっていました。ただ、空気圧を充分下げないと、進まないぐらいサラサラで、担いで走った方がはやいかも?と考えてしまい、これも失敗のもとでした。空気圧は少しずつ下げて行って、最終的には1.4ぐらいでした。
1レース目は50-54才の中谷さんのレース。中谷さんのスタートはとても上手く、3位でキャンバーの下りに入っていました。

その後少しずつ遅れていきました。テクニカルセクションといえば、このキャンバーの下りと、あと、泥のため、ラインが難しい数か所のコーナー。
中谷さんでもバイクがぐにゅってなるキャンバーでした。

あとはすべてパワーでしたね。
中谷さんのレースでは、泥はまだサラサラでした。だから、バイクにもあまりつかず、バイク交換をしなくても何とか走れる状況でした。しかしこのレース中に雨があがり、かつレースでこねられた泥は、だんだん固くなり、場所によっては乗れない区間が増えていきました。
さらに失敗したのは、せっかく持って行ったローラー台を宿に忘れてきたこと。ミュンヘンで2回トレーニングに使ったのでまったく無駄ではなく、また試走してから、中谷さんの応援をしていたあら、あっという間に招集だったので、私はローラーに乗る暇は結局なかったのですが、あー、勿体ない!
11時前15分ぐらいから私たちのスタートコールが始まり、最初は過去入所者と各国チャンピオンが前列に、あとはゼッケン順、つまり申込み順に並びました。

申込み1番だった小田島さんが最前列に並び、私は3列目ぐらいかな。グリッドはあるのですが、みなさんドンドン詰めてきます。後ろの列のチェコ人なんて、ほとんど割り込みでした。スタート前は3人とも先の全日本では10位以内だったので、45-49歳の裏全日本?とか雑談していました。

11時スタート。私はコーナーで前の人が転倒したタイミングでバイクを降りざるをえず、そこから、キャンバーまでを担いで走ったため、ほぼ最後尾からのレースを始めました。

とりあえずは前の小田島さん、羽鳥さんを目指そう!

レースは4周ということが、スタート前にアナウンスされていました。50代のときはシャバシャバだった泥が、重い泥に代わってしまい、周回するごとにバイクにまとわりついていきます。2周目には昨日の試走時と同じぐらいの泥。

2周目ぐらいまでに小田島さんと羽鳥さんの前にでて、裏全日本はなんとか確保!と思ってさらにあと数人を追い越して前に行きたいと踏んでいくと、その選手たちが皆ピットでバイク交換。私たちのバイクがどんどん遅くなっていく一方ピット交換後にどんどん早くなっていくのが実感されました。
昨日の試走や、今朝は乗れた泥部分が、練られて、より粘土の高い泥になりバイクにこびりつき、乗車では進めないセクションが、周回毎に増えていきました。担いでもバイクは重くなるばかりです。
最終周回に入って、さらに前に行きたくても、交換した選手が先に行きます。ブレーキやフロントディレーラー周囲は完全に分厚い泥に覆われていました。最後の坂のセクションまでなんとかアウターで頑張っていたのですが、ここで力尽きてインナーに入れた途端、リアのエンドにへんな感じがして、バイクがストップ。
その数秒後に羽鳥さんを始め4人のパックに抜かれてしまいました。チェーンがスタックしていたので、あきらめて最後の1分ぐらいは、担いで走ってゴール。 31位でした。裏全日本も制することができませんでした。
このレースも、他の国内レースと同様にしんどく、かつ楽しいレースでした。国内を含めシクロクロスはどのコースも楽なことはありませんが、このコースは泥が特徴で、技術よりパワーが要求されました。もともとパワーライダーなので、決して苦手ではないのでしょうけど、ヨーロッパの選手のパワーには歯が立ちません。それと、バイク交換とピットクルー。
ただし、レンタカーもかなり大きなものじゃないと入りません。今回借りたのはVW Touranで、比較的大きな車でしたが子供2人大人2人乗った上で、荷物にバイク2台はやっぱり載らなかったなあ。そして次に行くときは、ピットクルーも一緒に来てほしいな、と思いましたね。でもそうすると、資金的にも厳しいなあ。前日と当日に参加者が別れればこの問題は解決するので、呼びかけて大人数で参加するのも一つの手かな。
しかし、
リザルトを見て愕然。トップから9分差。
この差の原因。まずはスタートのロス10秒。そして最後のランのロス1分、
あと、機材交換の影響、これが3分ぐらいか?それでも残りの脚力の差が5分ある。そこで10位から15位ぐらいだ。現在の私のレベルは、多分どんなに条件が良くてもこのぐらいだろう。
私たちのカテゴリーの国内No1筧太一君は1レースで私より1レースで2-3分前を走ることができる。そうすると、彼は多分3位入賞圏内かな。
しかし、これらの仮定は、あくまで自転車、ピット、ピットクルー、コースを総合しての話です。他の総合力、例えば洗濯力とか、どんな車を借りれるか、といったのもあるかな。
だから、将来、日本国内でレースを開催できると有利。どんどん日本からの参加者を増やして、いずれ日本でやりましょうよ!
レース終了後短期滞在アパートに帰って洗濯大会が始まりました。洗濯機着きのアパートを借りるとかなり洗濯ができます。ただし今回の泥は半端でなく、風呂で一度泥を流します。風呂の水詮が泥に交じった草で何度も詰まりそうになり、草をのぞきながら、しばらく全裸で泥落としをしました。それでも、前日の試走分と、泥んこ遊びをしていた子供の分を含めると3回にわけて洗濯機を回しました。これは妻と一緒に来ていたので助かりました。
レース終了後、夕方から私たちが借りていたアパートで、日本選手団のパーティー。
兎にも角にも、世界選手権に参加できたこと自体が素晴らしい経験でした。皆で健闘を讃えあいました。中谷さん、小田島さん、羽鳥さん、それぞれが素晴らしく、一緒にいて楽しい人達でしたからなおさらです。途中停電があって、ろうそくの光をともして楽しいひとときでした。

今回は初回参加、今後50代、55代、60代と、年齢の区切りにまた参加できたらいいなあ。 そして、日本で応援してくださった皆様、ありがとうございました。