マリス・ヤンソンス指揮、エフゲニー・オネーギン

6月20日 アムステルダム
マリス・ヤンソンスは実は思い出が深い指揮者。1986年、まだ学生だったころ、レニングラードフィルを、ムラビンスキーの代役で指揮をしたのを聞いて、ショスタコービッチの第五で、すべてのビブラートまでそろったのが、「さすがソ連」と思った記憶がある。もしムラビンスキーだったらどうだったのか、一緒に聞きに行った仲間と話あったなあ。
と、その人は、その後もどっかでお目にかかったのか、なぜか雰囲気はよく覚えていた。あ、あの人だ・・・っていう感じでした。

さて実はチャイコフスキーのオペラ、多分うまれて初めて。だけどエフゲニーオネーギンのポロネーズ多分みんな知っているでしょう。私もなんで知っているのか不明ですけど。
http://youtu.be/4Um3wUL-pxw

演出は・・・賛否両論でしょうね。その場にいない人を、舞台の上でうろうろさせて、回想録風を装っていました。それは悪くなかったです。

演出の問題は2幕以降。今回のは、このビデオのように品の好いものではありませんでした。ソビエト兵に、ソ連の宇宙飛行士・・・・今は無き、懐かしきソビエト連邦共和国万歳という感じですかね。ふざけてます。熊も出てきます。まあ、熊は原作では、夢の中のシーンとしてでてきますが、他の人物は旧ソビエノの博覧会みたいです。オネーギンとレンスキーにピストルを渡すのは赤軍兵士です。キッチュです。
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オネーギンの小説を読んでいる途中ですが、こんなロマンティックな時代はもうないですし、昔の女にもう一度懸想して、身を滅ぼす・・・・今でいうストーカーなんですかね

一方エフゲニーオネーギン、プーシキンは、多分私からもっとも距離が遠い小説家だろう。ロシアのオペラもかなり遠い。だから勉強のつもりで読んだ。もともとこれは韻文詩というジャンルらしい。日本語になると小説だが、プーシキンは、詩人・小説家というべきなんでしょうね。

ソ連の前の地主階級が主人公です。多分プーシキンも同じ出身でしょう。オネーギンという主人公は、ドンジョバンニとは違って本当に世界との交わりが嫌いなようです。今だったら「オタク系」になるんだろうな。
オネーギンの友人のレンスキーも地主階級、その階級の中の話です。詩人ということになっていますが、そんなに立派な詩を書いているというか、そういう表現はないわけで、今だったら、「コミケ」で漫画うってそう。そして農民たちは、BGMとして民謡を歌っている・・・これは原作も同じ。

途中、オネーギンは決闘で友人のレンスキーを殺してしまう。現代であれば、決闘になるような話ではないんです。決闘になったのは、嗾けられ、名誉をまもる・・・そんな発想があった時代です。それに違和感を感じます。名誉を守るために決闘・・・・もうないでしょう。名誉のために自殺、これはあるかもしれませんね。でも決闘で殺された方は、いいとして、友人を殺した後は生きにくいだろうな。
タチアナたちと別れて10年ぐらい経って、それでもなおタチアナに懸想するオネーギンは、現代人としては理解できません。ストーカーに近い。
小説の方は、本来は韻文詩、そういう意味でオペラとは違った豊かさがあります。農園で働く人々との交わり、田舎くさい地主パーティー、舞踏会、大都会モスクワの喧騒、時代が起き去った一切を、歌い上げています。
未来に関しては、たとえばモスクワの道路は500年後には舗装されているなどの予言。それでも、帝政はかわらない・・・など、ちょっと的外れのことが書いてある。
プーシキンは、進歩思想がその後嫌われたということになっているらしいけど、この程度だったのかな。
さて、そのプーシキン、レンスキーと同じように自分も決闘で死んでしまう。ガロアもレンスキーとおんなじような理由で同じころに決闘で死んでるし、レールモントフもか・・・・でも、この3人ぐらいしかしらない。やっぱり決闘で死ぬことはよっぽどのスキャンダルだったんだろうな。
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by giro1965 | 2011-06-20 23:00 | 音楽