シクロクロスが好きなGIROの日記


by giro1965
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宇都宮の餃子

宇都宮といえば餃子である。ただし妻とベイビーをつれているので、いわゆる餃子専門店には入りずらい。そこでかわりに、中華料理ファミレスにはいった。
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食べかけだけど、おいしかったよ。
台風も通り過ぎて、明日のジャパンカップレース本番はいい天気になりそうだ。
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# by giro1965 | 2007-10-29 00:25 | 近況
フリーランに引き続いてチャレンジレースも雨
フリーランに出た選手は、後ろから並ばなくてはいけないので、やや不利ですが、フリーラン枠は別に表彰されるので6位以内を目指す。まあ40台ライダーには無理だろうけど目標は目標として許してもらいます。

チャレンジレースが終わり、控え室でびしょびしょになったウエアを交換。靴はどうしようもないけど、ジャージだけは着替えてすっきりとしました。いつの間にかオークリーのサングラスが壊れていて、使い物にならず、置いていく。

スタート位置では、少しずつ前方ににじり寄る。先頭集団に入るには、これぐらいしないと無理な位置にいる。そして、スタート。

最初は巨大なプロトンとなって、湖畔を走り抜ける。先程のフリーランで古賀志林道の上り坂で立ちこぎすると、結構すべったので、シッティングのまま上る。もう先頭は見えない。しかたないので、少しずつペースをあげる。自分より早い選手がいれば、それをペースメーカーにして登っていく。写真ではちょうど中央の黄色いウインドブレーカーが私だ。
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下りは以外とみんなゆっくり。これぐらいの雨にしてはペースを落としすぎ。いつも和束の下りできたえさせていただいているので、いらいらする。だけど追い抜こうとすると危ないので、チャンスを見て少しずつ前に行く。

くだり終わると、前方に20人ぐらいの集団がいる。なんとか追いつくと、なぜか皆さんペースダウンしている。きっと、1人がずーっと先頭を引いていたのだろう。仕方ないので前にでて自分も引く。しかし雨だと本当に先頭は重いね。後でビデオでみると、私は先頭(3人)→20人ぐらいの第一集団→20人ぐらいの第二集団の第二集団20人の中にいたようだ。



そしてこの20人超の第二集団のまま射撃場入り口へ。しかしそして、鶴C.C.の上り坂にはまいった。古賀志林道よりもしんどい。ふくらはぎがつりそうになる。


ここでデローザの50周年モデルに乗っている選手に抜かれる。年齢も同じぐらいなので目標にして行くことにする。1周が終わり、赤川ダムまでなんとか第二集団に残る。そして2回目の古賀志林道の上り。2回目はさすがに苦しかった。だけどダンシングはせずに我慢して上りきる。この間私を抜いた選手の数と、私が追い抜いた数はだいたい同じぐらいのようだった。デローザ50周年モデルも上りで追い抜く。再びくだり。先程より選手がまばらなので、1回目よりスピードを出して下る。

どれぐらいの位置なのかぜんぜんわからない。
妻がいる田野の交差点あたりでは、やや集団に遅れ気味。一週目に引いたおかえしとばかりチームWADAの選手が引いてくれる。のぼりでとりもどすさ…なんて思っていても、実際に上る頃にはもうひーひー言っていた。上り坂でデローザ50周年に追い抜かれる。その後はただひたすら置いていかれないように踏みまくった。いつもは使わないふくらはぎが痛くなった。残り1キロー500メートル、300メートルとなんとか維持するが、メインスタンド前で2人ぐらいにさらに抜かれてしまった。さあ結果はどうだろう。

といってもどこに結果を表示しているか分からない。
テントで知り合った来年ラバネロの肥後くんという若者と、スポンサーテント会場にいって焼き芋を食べた。美味しかった。OGKのおっさんと話すと、なんと白庭台にすんでいるということだった。OGKの応援グッズをもらう。


レース結果
チャレンジ+フリーランで7位だった全体では39位



惜しかった。あと少しでリンゴが一箱もらえたのだ。でもあと30秒もタイムを縮めなければ6位にはなれなかったのだ。この年でトレーニングをしてどこまで改善するだろうか。
まあ年齢クラスもないレースとしては、検討したといえる。かな?。


妻と合流し宿に帰って風呂を浴びた。同じ宿には千葉のインバ☆スターの方々が一生懸命自転車をみがいていたので、同席して自転車を磨いた。こちらの皆様はオープンレースで5周してきたとのことである。結果はDNFで4周だったらしい。優勝はブリジストンアンカーだよ。そりゃ回収されてしまっても仕方がない。だけど、これを5周回収されずに完走したら気分いいだろうなあ。来年はオープンレース5周に出たくなった。
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# by giro1965 | 2007-10-28 02:30 | ロード
26日東京で仕事をすませて、妻と子供と合流。新幹線に乗って宇都宮へ。レンタカーを借りて宿へむかう。宿はコンセーレ宇都宮教育会館。合宿にはばっちりの場所だ。

天気は雨。しかも台風がやってきていて、前線がさらに刺激されて雨また雨。もうこれは明日も雨だな、と思っていた。おきてみるとやっぱり雨。これだとフリーランにはランプレもゲロ水もサウニュエルも来ないよなあ・・・と思っていた。

翌朝7時30分に宿をでて、9時にコースが閉まる前にサインしてプレートをもらいにいこうとおもったら、近くの駐車場はもうほとんどいっぱい。とりあえず、一箇所確保したが、妻と子供がレースを見るには遠い。
そこで、私だけ自転車でいって登録してから、合流しコースが閉まる9時までにコース外の駐車場まで移動した。

自転車を調整していると、なんとフロントディレーラーのワイヤが外れてしまった。自分で調整したら絶対に間に合わないので、そのままワイヤを手にもって、3キロ先のスタート地点のカンパのテントに駆け込んだら、やさしいお兄さんがあっという間に直してくれた。さらに、自転車を揺さぶって、異常がないか調べてくれたり・・・本当にいい人だ。このお兄さん、あとでレース中も私たちの後ろをぐるぐる回ってくれていたらしい。

さてスタート地点で待っていると、そこにはエキップアサダの新城選手がいた。一緒に走る一般人よりも先にきているなんて、本当にえらいよ。

まだゲロールシュタイナーも、ランプレも、サウニュエルもだれもいないが、スタート3分前になって、次々とやってきた。ランプレが最前列。その次にゲロルシュタイナーが陣取る。
リッコたちはどこに?見当たらない。

目立つのはやっぱりドイツチャンピオンで白いジャージのウェーグマン。
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なにやら奇声をあげている。実は私はドイツ語がわかるので、何をいっているかだいたいわかっていた。スタート直前に、ウェーグマンの隣にいたライダーがフラフラっと倒れ、なんとウエーゲマンに激突。彼のバイクについていたボトルホルダーがポキッとおれてしまった。

傍にいたロニーショルツに、「くそ・・おれのホルダー壊された」といっていた・・・・・

今中さんが、「雨なので下りはとにかく慎重に。のぼりはがんがん行きましょう」のレクがあってスタート。


そしてスタート。私はもちろんこのコースは始めて。湖のまわりをちょこっといくといきなり林道のぼりですなあ。。

ファンライドなので、ペースも遅く、私もなんとかついていく。なんか、ゲロ水とランプレの選手の間で走るのって、とっても幸せです。 キター リッコがいきなりのぼりでトップまできてくれました。

そしてくだりは雨なので、慎重に。
その後のフラットな区間はロニーやウェーグマンに声をかけさせていただきました。なんと今回のゲロールシュタイナーは、全員ツールに出ていた選手なのです。あとでビデオ見直しますよ。

その中でもd0133127_1033029.jpgロニーとはいろいろ会話しながらいきました。彼はシマノの電動ディレーラーをしていたので、調子はどうか?とかね。とても良いっていってましたよ。でも高そう。今年はシマノも何周年かなので、出すんでしょうね。やっぱり。



なんかめちゃくちゃ幸せです。

この後私たちはゴールで、チャレンジレースにでました。しかし選手はまだ数周走った人もいたそうです。

このビデオはゴール手前約3キロ地点の田野の曲がりです。妻が撮ってくれました。私は先頭2列目の画面の奥でランプレに続いて、ゲロ水のジャージの横奥の黄色いレインウエアを着てます。


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# by giro1965 | 2007-10-27 23:29 | ロード

まもなくジャパンカップ

d0133127_14242461.jpg父の死から週末ライドにもいけず、練習不足という言い訳をしながらいよいよ明日ジャパンカップにむけて出発します。選手と一緒に走るフリーランにもでるので、チャレンジレースの並びは後方になってしまいますので、これも言い訳ですが、良い成績は望めません。
でもその前にコースやらなにやらを他人ブログでお勉強しています。



今年は茄子アンダルシアの続編あったし、まもなくビデオで発売されるので、観客も多いのではないかと思います。
このビールを現地で飲みたいです。
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# by giro1965 | 2007-10-25 14:27 | ロード

父が逝きました

10月10日に父が逝きました。10月8日に79歳になったばかりでした。


3年ほど前、糖尿病で入院。これまでの私の研究が高齢者の機能低下だったのでこの時はひょっとしたらあと5年ぐらいかな、と考えていました。しかしその後も東大病院で研究を続けていました。6月下旬脳梗塞のため再入院しました。
私もよる付き添いましたが、このときの父は壮絶で、せん妄状態(意識レベルが低下し徘徊やあらぬことを口ずさむような状態)の中、もくもくとピペッティング動作を繰り返していました。

2ヶ月入院しリハ病院に転院になったところで膵臓癌が見つかり、すでに肝臓にも転移していました。
この時点で統計的には1年生存率が10%ありません。あと数ヶ月か、と思いました。母が9月中旬にがんばって家に連れて帰りました。
その後少しずつ言語能力が低下した様子でした。そして2週間後の10月5日夕方脳梗塞の再発がありました。
脳外の病院に運ばれましたが吐血もあったため稲毛の別の病院に転院。アルブミン等の点滴を受けたらしいです(父の専門である輸血学的には、これは不適切利用にあたります)。私がかけつけた翌日朝には下顎呼吸で、あと数時間か数日という感じでした。そこで、弟二人と母に、どうせなら、家で看取ろうよ、と提案して6日午後家に連れて帰りました。

それからは、親戚や孫やらお弟子さんやらが次々と見舞いに来てくださいました。ベッドで寝ている父に対して、もう点滴もせず、吐血のために鼻から入っていたチューブも抜き、呼吸を楽にする為のエアウエイだけにしました。乾いて苦しいかも、と考えながら氷を口に入れてあげたり、唇を家族が順に湿らせました。
夜父の傍に寝ていると呼吸音がしっかり聞こえていて、ほっとするという繰り返しでした。
8日は父の79回目の誕生日で、父の傍でハッピーバースデーをうたって孫たちが代わりにろうそくを吹き消しました。
それから2日後の朝4時過ぎに父の呼吸はとまりました。

お父さんありがとう

以下の文章は九大検査部(父のかっての職場)がまとめてくださった、父の業績を若干書き直したものです。お墓よりも何よりも、父の思いでと、人類に残した父の業績こそが父のモニュメントだと思います。

Blumbergにより発見されたオーストラリア抗原が輸血後肝炎と関係あることを世界で始めて明らかにした。父によるこの臨床疫学的研究は、以後のB型肝炎ウイルス撲滅作戦にいたるまでの世界中で繰り広げられる基礎的、臨床的研究の突破口を切り開くもので、この業績に対して野口英世を記念した野口賞、フランス政府よりパルムアカデミック勲章、朝日賞などの賞が授与されている。Blumbergは、ノーベル賞を受賞しこの時の記念講演の内容は一流科学雑誌のScienceに掲載されているが、その中で父のおかげで自分の研究がノーベル賞につながったことを繰り返し強調している。
HTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)が輸血により感染することを世界で初めて発見し、世界中の献血者スクリーニングが開始されることとなった。
功績概要:
1. オーストラリア抗原と輸血後肝炎に関する研究
① 1968年日本人の患者血中にオーストラリア抗原が存在することを証明し、1970年世界で初めてオーストラリア抗原が輸血後肝炎と関係があることを発見した。
② 従来は、オーストラリア抗原は白血病患者に現れるとされてきたが、この研究成果で世界の学者が輸血後肝炎との関係に注目することとなった。
③ その成果は、肝炎ウイルスの中でも最も感染力の強いB型肝炎ウイルスの発見につながり、B型肝炎ウイルスによる肝炎、肝硬変、肝臓癌の治療、ワクチン研究まで一気に進むこととなり、現在のB型肝炎ウイルス撲滅作戦の端緒となった。
2. HTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)と輸血感染に関する研究
① 1984年HTLV-1(成人T細胞白血病ウイルス)が輸血により感染することを世界で初めて発見した。
② 従来は、輸血によりHTLV-1の感染が起こることは知られていなかった。父の研究により、HTLV-1抗体陽性の赤血球製剤、血小板製剤では感染を起こすが、血漿製剤では感染を起こさないことが明らかになった。
その成果は、輸血とHAM/TSP(HTLV-1関連脊髄症)の関連が明らかにされることにつながり、輸血によるHTLV-1感染の重要性が世界中に認識されることとなった。米国FDAは父にヒヤリングを行い、わが国のみならず世界中で献血者のHTLV-1抗体スクリーニングが開始される切っ掛けとなった。
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# by giro1965 | 2007-10-10 04:20 | 父の事